JR山形駅や道の駅などでお土産品としてよく見かける「やたら漬」は、旧県庁である文翔館や、山形市役所が立地する城下町山形の中心部、旅籠町にある老舗「丸八やたら漬」の主力商品である。創業は今からなんと135年も前の明治18年。ご当主新関家は最上家の家臣で、庄内鶴岡にあった藤島城主だった新関因幡守久正の血筋に当たるという古い家柄。その本家から分家した初代新関寅治の代に、婿養子に入った2代目平七が醤油、味噌醸造をこの地で始めたのがその起源。同時に、町の近郊でできる豊富な野菜を原料に、醸造の技術を生かして漬物加工業にも取り組んだ。野菜の皮やヘタなどなんでもやたら漬け込んだことから名付けられたやたら漬は、山形の家庭料理としてどこにでもあった故郷の味を商品化したものとして親しまれ現在に至っている。
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店前の国道は江戸時代に整備された五街道の一つ、奥州街道の脇街道だった羽州街道で、江戸と羽州、つまり羽前羽後、山形秋田を結ぶ重要な街道であった。
旅籠町はその名の通り、旅人や行商人相手の宿屋である旅籠が集まっていた場所だから、まさに江戸のメインストリート前に店を構えた老舗なのだ。城下町における街道沿いの商家は、京都などと同じく短冊状の敷地割りの中で、通りに面してお客相手の店や店蔵を構え、その背後に住まいや座敷などプライベートな生活の場、さらに奥へ進めば収納のための蔵や畑などが続く配置が基本だった。この店も御多分に洩れず、さらに醸造場を持つ広大な敷地を占めている。
上空から眺めると、蔵やお座敷、工場など、いくつもの建物が密集し、時代と共に増改築を重ねて発展して来た様子がよく分かる。現在も店内には丸八の屋号が入った陶器の瓶や暖簾、大きな醸造樽が残され、その長い歴史を伝えている。
国道沿いに並ぶ建築群は、中央に漬物を販売する木造平屋のやたら漬け店舗を据え、通路を挟んだ右手に土蔵造り二階建ての香味庵まるはち一の蔵、左には2012年に新しく開店した木造平屋の旅籠町立呑処が並んでいる。表からは見えないが、店舗の背後にもう一棟2階建ての座敷蔵が隠れており、店舗と二棟の蔵は、2007年に国の登録有形文化財となっている。
中央の店舗は正面に切妻の大きな三角屋根を構えた造り。1階入り口部分に赤瓦が載る庇を付け、立派な木製看板を載せている。三角形の妻部分には、あみだくじのように梁と束を重ねた木材の妻飾りを見せ、山形に多く見られる商家の形式を伝えている。
この店の右手には短冊状の敷地の奥へと続く一間幅の通路、通りニワがあり、これを挟んだ南側に香味庵まるはち一の蔵が建つ。元々店舗続きの土蔵だった建物を1992年に改装して郷土料理店の客室として活用したもの。芸工大開学の年、まだリノベーションなんて言葉が世に知られていない30年近くも前に、早くも歴史的な空間を巧みに活用した先進事例が生み出されていたのだ。
1階は20席の客席、2階には40名までの宴席にも使える板座敷がある。急な階段を登ると隠れ家のような空間が広がり、ワクワクさせる設えである。
この店と一の蔵はいずれも大正2年の竣工とされている。店のある旅籠町は明治44年の市北大火で大きな被害を受けた。同じ旅籠町の官庁街最奥にあった明治初期の木造擬洋風建築旧山形県庁もその時焼失し、火災に強い庁舎をということで建てられた2代目庁舎がご存知文翔館である。こちらは大正5年の竣工だから、店の2棟は新県庁舎より3年も早く完成していたことになる。ちなみにあの赤煉瓦の東京駅よりも1年早い先輩建築でもあるのだ。
この2つの大正建築の間の通りニワを、飾られた昔のまちの写真や古道具を楽しみながら奥へ進むと座敷蔵にたどり着く。蔵座敷とも呼ばれるこの部屋は、そもそも収納空間としてある蔵を、防火と厳しい気象条件にも耐えうる利点から日常生活のための空間へと応用したもので、山形では特に数多く見られる特徴的なもの。とりわけ旦那衆たちが豊かな私財と、当時の大工職人たちの優れた技術を駆使して造り上げた見せ場の空間でもあり、山形の豊かさを示す建築の一つと言えよう。
元々新関家の座敷だった1階は、仏壇と床を構えた30畳の広さを誇る空間で、今は御膳卓で60名までの宴席ができる贅沢な客室となっている。蔵の竣工は明治中期とされているので、市北大火にも耐え残った、周辺ではひときわ貴重な建築と言える。
蔵に囲まれた中庭に、小さな社を見つけた。古くからの商家の庭にはよく見られた屋敷稲荷である。見れば、江戸時代からの地割3軒分の神様を合祀してあるという。店舗を拡げた折に、隣接地にあった神様も大事に祀ってきた御当主の心配りを感じさせる粋な計らいである。城主が次々と変わる山形の城下を支えてきたのは、大名ではなく、紅花などで富を築いてきた商人たちである…と自負する誇り高い旦那衆たちが、こだわり、贅を尽くした空間で、山形に代々伝わる郷土の料理や酒を堪能できる。そんな究極の贅沢空間が、市街地のど真ん中に今も残る町。それこそがここ県都山形のかけがえのない魅力なのだ。
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明治から5つ目の時代である足球彩票に至るまで、山形商人の心意気を伝えてきたそんな名建築が、近く廃業されるという。新型コロナの影響も加わり、近年では大沼デパート閉鎖と並ぶ山形中心市街地での衝撃的な出来事である。近代化、合理化の影で時代の流れと一言で片付けるには余りにも惜しい終焉である。
ここまで長きに渡る歴史と伝統を、未来に伝え続けることは益々難しい時代になってきている。そんな時、町を代表してきた「商い」を周りの市民が支え、加勢していく構図は一層重要なものとなっていくのではないだろうか。時には昭和を知らない若者たちと一緒に、山形が誇ってきた生活習慣や食文化をリアルに伝えてくれる空間で過ごし、古き良き時代について語り合うことも大切だ。そんな得難い体験が容易にできる機会を失う損失は余りにも大きすぎる。
わが国には文化財政策として、建物の希少性、歴史的な価値に対する評価や保護策はあるが、長きにわたり市民の生活を支え、親しまれてきた歴史空間を維持し、貴重な空間体験の機会を提供するといった生活文化伝承の功績に対する顕彰は手薄に過ぎる。この町における発展と継承のバランス=便利さと懐かしさの比重…そのあるべき姿を、私たちは自分事として、もっともっと議論すべきではないだろうか…。
(文?イラスト:志村直愛)
志村直愛(しむら?なおよし)
1962年 鎌倉市生まれ。
東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。
建築?環境デザイン学科教授。
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建築史、都市景観、歴史を生かしたまちづくりが専門。古代から近代まで、日本や西洋の人々と建築を巡る歴史を振り返り、未来に進むべき道を考えます。豊かな歴史の蓄積を活かした都市景観形成やまちづくりを研究、支援しています。また、日本テレビ系列の番組「世界一受けたい授業」にも時々出演しています。
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